ウロコの話

 私が尊敬する人の一人であるSF作家・と学会会長である山本弘さんのエッセイ集「宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?」の中に、SF界の巨匠である星新一さんのこんな言葉がありました。

「目のウロコが落ちたのと、飛びこんだのとはどこで見分けるんだ?」

山本さんの解説によると、

 ウロコとは、心の目にかかった偏見のフィルターである。フィルターがなくなれば、世界がよりクリヤーに見えると思われるかもしれない。それは逆だ。このフィルターは自分に都合の悪い情報をシャットアウトする働きがある。だから目にウロコが飛びこんだ者は、不都合なことが目に入らなくなり、世界が単純明快に見える。「目からウロコが落ちた」と勘違いしてしまうのだ。

 ということです。すごいいい言葉だと思いませんか?この言葉を私も大事にしたいです。きっと私にもウロコが入っています。もちろん山本さんもウロコ入っているところがきっとあります(児童ポルノに関するあたり?)。きっと、gegenga様のところで書いた「抜け出せないポジショントーク」もこのウロコに依るところなのだと思います。たまにblogやコメントを読んでいて「え?この人急にどうしたの?」ってぐらい、それまで思慮深かったりした方が、ある要素に関してのみものすごいテンプレ的な偏見や憎悪を発しているようなことがありますが、それもこのウロコなのでしょうね。

 ところで、このウロコは「○○=悪」という形をとることが多いように感じます。また、なんとなく大きな組織・ある傾向を持つ集団に向かうのも言えると思います。「ゲーム=悪」「大きな政府=悪」「CIA=悪」「小泉・竹中=悪」「官僚=悪」「解同=悪」「在日=悪」…そして、その周辺にあるものも悪として切り捨てていくわけです。その裏には「そんな悪の正体を知って戦う俺=正義」というのがある場合が多いです。あるいは、ウロコを「集団に収まるためにつける」こともあるのかもしれません。政治とか宗教とか。それでいつのまにか「集団のウロコ=自分のウロコ」になるのでしょう。